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あいこ

Author:あいこ
はじめまして。
人の3倍濃い人生を
人の倍の時間をかけて
のんびりゆっくりと自分の糧に。

保育士・大手アパレル販売・大手ホテル勤務・大手キャリア促進営業部・看護士・・・各社員2~3年を経て
とうとう大学へ舞い戻ってまいりました。

やはり、好きなことからは逃げられそうになさそうです。

一人暮らし・社会人経験は10年以上。
キャリア組を捨て、玉の輿の結婚を白紙にし、
30歳直前にして単身京都で学生生活。

10歳差の集合地帯。
さてはて。自分のために、頑張りますヨ~。

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天地有情

2010.07.11 00:36|持論

最近、京都大学の過去問を解いていて、

「ゼヒ読んでみたい!」と注文した本。





その中の一説を書き出して見ます。

とても好きな言葉です。











【天地有情】



自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、

実はこの世界全体の感情の

ほんのひとつの小さな前景に過ぎない。





このことは、お天気と気分について考えてみればわかるだろう。

雲の低く垂れ込めた暗鬱な梅雨の世界は、

それ自体として陰鬱なのであり、

その一点景としての私も陰鬱な気分になる。



天高く晴れ渡った秋の世界は

それ自体が晴れがましいのであり、

その一点景としての私も又、晴れがましくなる。





簡単にいえば、

世界は感情的なのであり、天地有情なのである。

その天地に地続きのわれわれ人間も又、

その微小な前景として、その有情に参加する。

それがわれわれが

「心の中」にしまいこまれていると

思い込んでいる感情に他ならない。





わたし(筆者)が感動を胸に

この文章を教えたとき、



「梅雨の日でも気分いいときってありますけど、

そういうのはどうするんですかねぇ」と、



穏やかに質問してくれた7歳年下の

働き盛りの内科医が、

先日の朝、逝った。









(中略)







抗がん剤の治療で

体力の落ちている彼とともに、

胸部X線写真の住民検診フィルムを読影していた。



いわゆるダブルチェック方式で、

二人で別々に読んだ同じフィルムを

後日合わせて、

互いにチェックした箇所を検討するのだが、

その日程を決める会話の最後に、

どちらからともなく、



「その日、体調がよかったらやりましょう」

と、常に付け加えたものだった。





発病前にはわたし(筆者)以上に

過酷な勤務を続けてきた彼も、



「なんだか、

これが人と人との正しい約束の仕方だったようですね」



と、笑っていた。





そう言いながらも、

人一倍責任感の強い彼は、

予定日に遅れることはなかったのだが、

再発して入院になる前の日、

「中途半端な仕事で申し訳ありません」

と、詫びた。



「そんなこといいから、がんばれよ」

と、わたしは言った。



「もうがんばりませんよ」

と、彼は笑った。



それがわたしの聞いた最後の言葉だった。







世間が見ないことにしている

生々しい人の死が

押し込められた病院の中で働きながら

今日もとりあえず死なないでいる。



そのへっぴり腰の綱渡りのような姿勢が

他人の目に喜劇と映っても

それはわたしの感知するところではない。



「自殺は喜劇ですよ」



わたしを救ってくれた

この言葉を反芻するたびに、

戦争中、

飯を食えなくなった戦友たちから

先に死んでゆくのを見てきたという

末期肺癌の患者さんが、

亡くなる前日まで懸命に飯を食っていた姿を

なぜか必ず思い出す。










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