桜の美と。
2011.04.03 15:36|日記雑記|
私は嫌いなことをするのがすき。
これは10代の頃から変わっていません。
普通の人にいうと
「M?]とか笑われますが
ちゃんと意味があるのです。
「キライ」なこと、嫌なことって
それ以上キライにも、イヤにもなりようがないと思うんです。
だから、
やっていて、
キライ度が増すことはあっても
もともとキライなのだから、きらいでいいわけですし
人間は皆適応能力も備えているので
そのうち習慣になってしまうこともあるし
もしかしたら好きになるかもしれない。
つまりは、キライなものは、キライ以下にはならないのですよ。
それ以上悪くならないんです。
逆に、好きなことをするのは
とても怖いんです。
だって、何でもきれいなだけではないし
きっといやなことも見てしまったり
壁にぶつかったりしてしまうと思う。
好きなものをもっと好きになるには
その壁をちゃんと乗り越えなくてはいけないと思う。
でも
私はそこらへん、まじめに受け止めるから
きっと、立ち止まってしまう。
好きなものがキライになる瞬間が絶対くると思う。
それを乗り越えるのはしんどくて
結局、好きなことからは逃げて
キライなことばかりやっていたのです。
周囲からは「強い子だね」と思われがちでしたが
本来の自分がとっても弱い子だと自分で知っていたから
好きなものを受け止める強さがなかったんです。
ほんとは、人一倍弱いからこそ
強く見えるのではないかな?
とも思います。
・・・・・・そうすることもう10年20年。
さぁ。
どんどんキライなものがなくなってきます(笑)
苦手なことも、なくなってきて・・・
残るは、好きなことのみ(笑)
必然的に、好きなことと向き合わなくてはならなくなりました。
好きだからこそ
きれいなままで、
きれいな「好き」でいたかった。
でも、逃げても逃げても
結局その道は残るんです。
だって、天職みたいだし運命みたいだし
その道に進まなくてはならないらしく。
好きなものを
キライになる時がくる覚悟で進みました。
いまなら、きちんと乗り越えられるかな。って。

桜は嫌いですが、
去年にも書いてたみたいだけど
人知れず咲く桜は好きです。

路地や民家に咲く
誰に見られるためでもなく
静かに、上品に、けなげに生きているその姿には
毎年励まされます。

観光名所には
着飾って、オシャレして、「私を見て!」って内心思ってる桜がいます。
そりゃ、プロにキレイキレイにしてもらったら
そりゃ綺麗でしょうよ。
いいもの食べて
いいべべ着せてもらって
ガンガンライトで美白して(笑)
商品ですよ。
見世物ですよ。
「稼げる」って見込まれ仕込まれているんです。
それを見に行く人間もまた
仕込んだ人間に洗脳されているんですよ。
(笑)

でも、日常の当たり前の世界。
毎日みているこの風景にも
幸せも、美しさもあるんです。

身近に転がるこの美しさを拾えることが
とても幸せなことだと思います。

当たり前は、究極の美の宝庫です。
小さい頃の遊び場は
近所の川土手でシロツメくさの冠をつくったり
神社の境内でかくれんぼをしたり・・・
まったく綺麗ではないですが
とても輝いていました。
6歳の時に母に教えてもらったシロツメクサの冠。
その後は全くつくっていませんが
20年以上経った今も、作れます。
それもまた、宝物のひとつだと思います。
