9月8日(金)
今日、手術をしました。
とても寒気のする病院で、今までとは違い、診察を受け、すぐ点滴、手術となりました。
酸素マスクをされ、「痛くないですか?」と聞き、すぐに、とても重たいものがのしかかり、別の世界にいました。
そこは、とても暗く、地下のような場所で、頭上はとても高く暗く、見えません。
金色の色でしたが、それは、光り輝く金の色ではなく、何重ものいろいろな色が、重なり、塗り固められたとても油っこい、どろどろした金の色でした。
今思うと、地獄は色々な場所があって、
そこは、金におぼれた人たちのいる地獄だったのかもしれません。
黙々と金色の山を掘り続けていました。
きっと、現世で必死に働かず、楽してお金におぼれたから、ここで必死に彫っているのかな。
側には山積みの金色の山ですが、このままずっと彫り続けないとならないみたいでした。
ここの人たちは、話ができません。感情の自由もないみたいです。
ただ、ずっと・・・黙々と掘っていました。
溝に流れている川は、三途の川かもしれません。
でも、一般的にいう、お花畑とかではなく、地獄の溝は、どろどろとした、金属工場の排泄物のような、タールのようなものでした。
私は、赤ちゃんでした。
女の人に抱かれていました。エジプトの人のような人でした。
その人は、微笑んでいましたが、どこか暗く、重く、とても怖かったです。
でも、その人は、私をおろしませんでした。でも、離してもくれませんでした。
何もいわないけれど、心に語りかけてきました。心に、入ってきました。
「いやだ!かえる!」とずっと思っていました。「こんなところはいやだ」と。
でも、なかなかはなしてくれません。その重たい思いに、一瞬「もう・・・このまま楽になってもいいかな」と思いました。
でも「いやだ。生きたい。もう一度、お母さんに会いたい!」とおもいました。
今はまだここにいたくない。今行くと、悲しむ人がいる!と。
そのあとは、ずっとお母さんお母さん・・・と叫び続けました。
徐々に、看護婦さんの声が聞こえてきました。
「やばいよ!先生呼んできたほうがいいよ!白め向いて泡吹きよる!」
「●●さん!!!」と、叩く声。
「ここ。ここ」と思いながら、まだ油断をすると、さっきの場所に戻りそうで、
ずっと「お母さん!」と呼んでいました。
「付き添いはおらんのん!?」という看護婦さん。
「おかあさんがまちあいにいる」といってみるが、声にならない。
なんどもいって、ようやく、形の声になる。
お母さんがきた。
わたしは、生きていた。
思えば、事故したときも、最初に呼んだのは「お母さん」だった。
母は偉大だ。
地下のクレオパトラは、私にずっと語りかけていた。
笑顔のまま、強い思いで。
「ここにきてはいけない。こんなところにきてはいけない。」
今の私のままだと、きっと、ここにくるのだろう。
でも、私はまだ生きている。
生きている限り、明日がある限り、何度でもがんばれる。
死ぬのは簡単だった。
人の命も自分の命も、私は粗末にしてきた。
死ぬのは楽だと思ってた。
事故したときも、
おじいちゃんが死んで、
あの場所に立ちたくなくて、
お父さんとお母さんが死ぬ前に、
自分が死んだほうが楽だって、、、。
でも、違った。
それは、楽にならない。
死んだら、明日はない。やりなおせない。
生きてる限り、やり直しはきく。
特に私は、助けてくれる周りがいる。
あんなのに比べたら、この世の苦しみなんて、ぜんぜんましだ。
明日があるのだもの。
笑顔もある。
涙もある。でも、あそこでは、表情さえうばわれてしまう。
きっと、父母が徳の高い人なのだろう。
きっと二人が天国に行っても、私がそんなところにいくと、悲しむから、悲しませてはいけないと。
まだ、私には少し、執行猶予期間がある。
今まで、子供を2人来させて、事故にも合わせて、たかがの金額でも大ごとにも行わせて、
教えてきたのに、私には効果がなかった。
遠まわしにしてもだめだ。
と・・・最後の手段で連れて行ったのだろう。
消えていった命も、きっとおなかから出されるとき、苦しかったのだろう・・・。
考えてもみなかった。
「いやだ」とはじめて思った。
「生きたい」と、あんなに思ったのははじめてだった。
私には、まだ、時間がある。もう二度と、あの世界は、見たくない。
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